2017年11月25日

嵯峨浩未公開書簡
「政略結婚」に揺れる浩 決意と覚悟
読売新聞/『週刊新潮』掲載

「流転の王妃」と呼ばれた嵯峨浩の未公開書簡が記事になりました。

関東軍が仕組んだ満州帝国皇帝溥儀の実弟溥傑との「政略結婚」に揺れる侯爵家令嬢嵯峨浩の未公開書簡21通と写真3枚がオークションに出展されることを受けたものです。

11月17日と22日に読売新聞社会面と『週刊新潮』に、私のインタビューも掲載されています。


読売新聞 社会面 11月17日掲載



『週刊新潮』11月22日発売/11月30日号


浩さんは特権階級の女性でしたが、激動の日中の歴史の中で、想像を絶する苦難の時代を生き抜いた女性です。

敗戦後は国共内戦下の大陸を家族離散、中国民衆の罵倒に耐え、密告、裏切り、病魔、一族の死に遭遇しながら、娘愛新覚羅さんとアヘンに侵された皇后(帝后)を護り、凄惨を極めた逃避行の末、本国への奇跡の生還を果たしました。戦後は大陸での別離から16年後、まだ国交が開かれていなかった中国に渡り、日中の懸け橋として自らのなすべき責任を果たしつつ、夫溥傑の深い愛に包まれ生涯を閉じました。

「とうとうあきらめて私は死んだつもりで国の為に結婚しなければならなくなりました」。婚約発表までの手紙は、揺れる内面を吐露した数少ない書簡です。

「御国の為になることなら私はどうなろうと、満足でございます」。婚約発表の当日、昭和12年2月9日に出された手紙からは、運命を受け入れる覚悟と決意。今後想像される波乱の人生を自らの意思で生き抜こうとする強い信念が感じられ、初めてこの手紙を読んだ私にとっても感慨深いものでした。

浩さんの流転の生涯を思うとき、どんな困難があろうと、誇りをもって光に向かって歩き続けた女性のひそかな真情を伝えるこの手紙が、今後、願わくば、心ある人のもとで保護され、大切にされますことを愛娘である福永(旧愛新覚羅)嫮生様と共に祈ります。
posted by noriko-motooka at 15:27| コラム